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都留市ってこんなところシリーズvol.2【おはっさく】

「都留市ふるさと納税」といっても、そもそも都留市ってどんなところ?

と思われる方もいらっしゃるかと思いますので、「都留市ってこんなところシリーズ」vol.2をお届けします♪
投稿を通じて、都留市のことを知ってもらえると嬉しいです!

「富士の麓の小さな城下町つる」を最も色濃くみることができる特別な一日「おはっさく」

都留市を代表するお祭り「八朔祭」。
地元では「おはっさく」と呼ばれ、親しまれています。
山梨県の郡内三大祭りのひとつに数えられ、毎年9月1日に生出(おいで)神社の秋の例祭として行われてきました。

このお祭りがいつから始まったのか、詳細にはわかりませんが、天保年間(1830~40年)の古文書に、「往古(おうこ)より供奉順行(ぐぶじゅんこう)」と記されていますので、それ以前から大名行列などが行われていたことは確かなようです。
一説には、郡内領主の秋元氏が川越にて転封の際(1704年)、行列道具一式を下天神町に置き土産として送ったと伝えられています。
300年以上も続く歴史あるお祭りです。

江戸時代から引き継がれる「大名行列」

大名行列というのは、徳川幕府が諸国の大名を統制するために、一定期間大名を江戸へ参府させ、火の番や火消し、警固にあたらせた制度で江戸と領国との行き来を、家柄や石高によった規模で行列したことをいいます。
都留の大名行列は、十万石の格式と称されていますが、その規模は馬上10騎、足軽80人、中間・人足が140人から150人、総勢230人から240人だといわれています。

神楽や屋台を先導するために行われた行列は、現在はふるさと祭りの一環として受け継がれています。
「下に~下に~」と勇ましい先陣たちの号令が、時に神妙に時にユーモラスに観客を沸かせます。奴姿の赤熊(しゃぐま)や槍組、鷹匠、馬に乗った殿様や公募で選ばれた姫様など、その勇壮な姿は圧巻です。

大名行列の様子

豪華絢爛な「屋台曳行」

江戸時代にはじまったとされる八朔祭では、神社の氏子である各町が競って豪華な屋台を作り五穀豊穣を祈ってきました。
時代の移り変わりの中で一時は屋台が絶えてしまいましたが、平成2年(1990年)に早馬町の屋台が復元され、現在では下町、新町、仲町の屋台が復活し、八朔祭のみどころのひとつとなっています。
屋台全体をコの時に覆っている大きな飾幕は後幕といい、屋台を美しく飾るだけでなく、屋台の囃子方を隠す役目も果たします。
鮮やかな緋ラシャ(猩猩緋:しょうじょうひ)にビロード、金糸銀糸の刺繍など、趣向の限りをこらした飾幕は、まさに動く芸術作品です。

普段はミュージアム都留で展示されている飾り幕が、お祭りの日には屋台に飾られて風に揺られ、夜には提灯の灯りがともされ、さらに美しい姿で見ることができます。

4台の屋台曳行とお囃子の競演

「八朔祭」について詳しくは・・・

「大名行列」「屋台曳行」のほかにも、さまざまなイベントが繰り広げられる都留市の「八朔祭」
ぜひ一度、足を運んでみてください!

最後までご覧いただきありがとうございました♪