江戸時代にメインストリートだった「大手通り」
ちょっと(かなり)懐かしい都留市の風景をご紹介する第2弾。
江戸時代に栄えた「谷村城下町」のメインストリートだった『大手通り』の昭和30年代後半の様子です。
大手通りの歴史
日本各地に大手通りと呼ばれる通りがたくさんありますね。
都留市での「大手通り」とは、甲府地方・家庭裁判所 都留支部(地元では簡単に「裁判所」と呼ばれています。)の前、谷村第一小学校から国道139号線にかけての道路のこと。
戦国時代に甲斐国郡内領主の小山田氏が、現在の谷村第一小学校~都留市役所付近に居館である「谷村館」を構えました。
その後、江戸時代には「谷村城」の城下町ができあがりました。
城下町の発展には水路や道路の整備が必要なため、谷村城の正面に大手通りができ、谷村は大手通りを境にして「上谷村」「下谷村」にわかれていました。
この道は谷村城下町の絵図にもバッチリ描かれている古くからある道路です。
昭和30年代後半の大手通り
江戸時代から時は流れ、昭和30年代後半の大手通りの様子です。
中央左手の洋風な建物は、当時の都留市役所です。
都留市は昭和29年に誕生した市。現在の市役所庁舎が完成するまでの間、昭和3年に谷村町役場として建てられた建物を市役所として使用していました。
昭和30年代の大手通りには、市役所のほか、裁判所、金融機関、消防署などの官公庁が面し、まさにこの地の中心地でした。
現在の大手通りの様子
現在、市役所、消防署は違う場所に移転しましたが、裁判所、金融機関は当時と変わらず同じ場所にあります。
江戸時代に代官所があった場所が裁判所になり、今に続いていることが、都留市の歴史深さを感じさせてくれます。
時代とともに変わっていくところ、変わらずにあるところ・・・。
都留市の時の流れと歴史を知って、もっともっと都留市を好きになってもらえると嬉しいです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました❤